洞泉院寺族葬

今日は旧北上町大須の洞泉院の先住さんのご寺族さまのお葬儀でした。


洞泉院は現在の新北上川を挟んで大川地区横川の対岸にあります。横川には釣ノ尾城と呼ばれる山内首藤氏の城郭があり一説には伊達政宗が(もし幕府と一戦交えることがあり…)万が一仙台城が落城したら横川の釣ノ尾城を詰めの城として戦うつもりであったといわれています。なぜなら釣ノ尾城が四方を急峻な崖に囲まれた天然の要害であることはもちろんこの一帯はもともと河口付近であり広大な湿地だったのでたとえ大軍で攻められても簡単には落城しないと考えていたからだそうです。そのためか釣ノ尾城のある大川地区から旧雄勝町までは伊達家の直轄領であり対岸の洞泉院さんがある橋浦地区は重臣の片倉家の所領であったそうです。江戸時代の末期まで片倉小十郎が豊臣秀吉から褒美としていただいた軍船小鷹丸が係留されており廃船後は片倉家の家紋(九曜紋)のはいった二枚の楯板の一枚が洞泉院にもう一枚は片倉本家に収められたそうです。

2017年11月14日